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夢も見ないほどの熟睡こそ安息そのものであることは誰でも否定しまい。この熟睡の状態に最も近いのが死ではなかろうか。昔から死は「永遠の安息」などという言葉はあるが、実感としては死は恐ろしいものと想ってしまうのも事実であろう。しかし、それでいいのだと思う。人間が死を永遠の安楽として憧れるようでも困るからだ。まさに我々の生は絶妙なるバランスの上に営まれているのだ。
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【2006/10/31 11:02】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
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コメント
>熟睡の状態に最も近いのが死

果たしてそうか。孔子を持ち出すまでもなく、生も知らないのに死など尚更。その実態は分からず、上記の死の形も想像の一片。そこにこそ、

>我々の生は絶妙なバランスの上に営まれている

諸宗教は、さまざまな死の、あるいは死後の形を予想しますが、安息が得られればいい。傍から言うことは何もありません。ただし、テロのごとく、人を殺めれば己は天国というのは狂気の教え。

死後の形が不確かなように、死期も不確か。ただ、神の御胸にあるのでしょうか。目の前の重病人が、自分の先に死ぬという定めもありません。岳父は自分の葬式の司式を弟子に託しておりましたが、運命の不思議で、老齢の岳父がその弟子の葬儀の司式を執り行いました。

しかし、しかし、しかし、

「熟睡の状態に最も近いのが死」とは、

我らが知る限りでは、確かにその通りと言わざるを得ないかもしれません。この夏、89歳で天に召された女性の葬儀を、縁あって執り行いましたが、額に十字を切るときのご遺体の多少の冷たさも違和感はなく、まさに幸せに眠るがごとき姿と感じました。 MWW
【2006/11/01 14:19】 URL | Dr. Waterman #-[ 編集]
Dr Waterman様、お久しぶりです。御投稿を頂き感激しております。
こちらは、山も紅葉し、一見風景は華やかでありますが、忍び寄る厳しい冬を感じさせる今日この頃です。冬囲いを一昨日から始めました。夜には薪ストーブを焚いています。ストーブの炎を見ていると不思議と思考が目覚めるような気がしてなりません。たとえば、自分も人生の、この秋を生きているのだとしみじみ感じたりします。冬囲いのような同じ作業を20年前から繰り返していると体力の衰えがはっきりと分かります。また、山小屋で一人夜中に目覚めて思うことが、だんだんと後ろ向きになってきて、先方には暗影を感じることが多くなったように思います。死はその暗影の核といってよいでしょう。日頃「死は忘れてはならないが、考えてはならないもの」と自己に言い聞かせておりますが、夜中に目覚めて寝付けない時などついつい考えてしまいます。そもそも「死というものがどのような状態か」などと考えること自体おかしなことでありますが、そこに安心のよるべを求めているのでしょう。生物のみならず、万物がたどる誕生と死の、ありふれた道でありますが、少なからず不安を感じてしまいます。先ほど、夕食を終えて山小屋の庭に出て空を見上げると明るい半月が中天にかかっておりました。空気が澄んでいるせいか沢山の星も見えます。それに比べ、村の灯りは過疎のため年々数がへっていることが寂しい限りです。天上の明かりに負けないほどの昔の村の家々の灯りが懐かしく思い出されます。
ではDr Waterman様、お休みなさい。また、是非、お話がしたいものですね。

【2006/11/01 19:36】 URL | kounit #-[ 編集]
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