拝復
私のブログを読んでいただいたうえに深く検討してくださいまして心から感謝します。ありがとうございました。
貴兄は「経典など読んでいない人間」などと謙遜されていますが、経典にはそれを読み続けているかいないかで区別されるような内容のことは何も説かれていません。経典にはありのままのことしか説かれていないと私は思います。極端なことを言えば、小学生にでも納得できるような内容であるとあると思います。その内容を如何に受け入れるかが大切であると考えています。
私から見れば、貴兄のほうが格段に深く思索生活をされていると思います。
ところで、真の知については、まさしく総合的・直観的なものであると思います。
私は「知恵を生み出すためには具体的な知にこだわらないほうがよい」と書きました。そして、貴兄はそれに賛同してくださって、現代の過度の科学依存社会の弊害の原因もここにあるというように述べられています。 私も同感です。
しかし、一面では知にこだわるからこそ、それが発展し他の知を誘導し、また知恵も生まれるということも事実であると思います。
知にこだわったり、こだわらなかったり、というように、偏った見方が良くないと思うのです。このような逆説的手法で物事を処理せよという教えは仏典の中に良くでてきます。
要するに、物事はすべて、どちらかに偏らず、ありのままに受け入れなさいということであると私は思います。
「誰にも利く熱ざまし」と「車の構造図」の件につきましては、仏教的?に解釈すれば、少し視野が狭い見方であると思うのですが、如何でしょうか。例えば「道端の一本の草は青い」ということも真の知になるということと同じことではないかと思うのです。この辺のところに迷いが生ずるのではないかと、私は思います。
私はこれからも、悩みながら、頭を混乱させながら少しずつ仏典を読み続けていこうと思っています。
今後とも何卒よろしくお願いします。
【2008/02/14 04:13】
URL | ZAZEN256 #-[ 編集]
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