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午前は晴れとの予報であったが終日冷たい雨となりそうだ。気温はそれほど低くないので暖炉に火をとろとろと燃して午後から本を読んでいる。鈴木大拙集第10巻の「妙好人」。以前に一二度目を通した。以来、心のどこかに惹かれる気持ちがいつもあったように思う。百ページほどの文であるが一気に読んだ。「森ひな」という妙好人の言葉につぎのようなものがある。「あみだにょらいと、つきひをおくる。いつの、なんどき、ひがくれようと。ああありがたい、なむあみだぶつ。」さらに、この文で中心的に取り上げられている妙好人「才市」の言葉には「しゃばも浄土もみなひとつ、十方微塵世界も、わしがもの、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。さいちがごくらく、どこにある。こころにみちて、みにみちて、なむあみだぶつが、わしのごくらく」。このような眩しいような言葉の前には禅学者の解説文もいささか色あせてものに感じられる。宗教理論などは、いはば、真の信仰への橋をつくるための仮小屋のようなもので、如何に立派な仮小屋を建てようが、橋を造って渡らないことにはどうにもならないのではないか。
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【2006/12/16 14:51】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
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コメント
まさしく、眩しいといった感じの言葉ですね。
心が洗われるような思いがします。
確かに、仮小屋に留まっていては、いつまでも対岸のお話になりますね。
いつもありがとうございます。
【2006/12/16 18:29】 URL | 水砂子 #EBUSheBA[ 編集]

宗教理論などは、いはば、真の信仰への橋をつくるための仮小屋のようなもので、如何に立派な仮小屋を建てようが、橋を造って渡らないことにはどうにもならないのではないか。<

たしかにその通りだと思います。ただ、「真の信仰への橋」を造るにしても、その橋に故障がないか、すぐれた宗教理論で検証することも無益ではないと思います。むしろ、現代のように節操のない「信仰」が多い?ようなら、宗教理論でその真偽を検証する姿勢も必要ではないでしょうか。橋を渡って彼岸にたどり着かなければ意味がないとしてもです。

あるいは、「真実の宗教理論」なくして「真実の信仰への橋」を造ることができないかもしれません。また善意で渡ったつもりの橋の行き着く先が地獄であったということもありうるかもしれません。

オーム真理教信者やイスラム教原理主義者たちの渡ろうとしている橋は、どんな橋だったのでしょうか。時には、橋の構造の検査も必要とされることもあると思います。

                   そら
【2006/12/17 13:29】 URL | そら #-[ 編集]
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