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「人は最初に遠く死を望み見て、恐怖して面を背ける。次いで死の廻りに大きい圏を晝いて、震慄しながら歩いている。その圏が漸く小さくなって、とうとう疲れた腕を死の項に投げ掛けて、死と目と目とを見合わす。そして死の目の中に平和を見いだすのだ」森鴎外の「妄想」の一節である。後文は「死を恐れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下っていく」と結んでいる。先ほどから、本の整理をしていて鴎外のこの自伝的な短編の一節に手を獲られてしまった。この短編は好きで若い頃から何度か繰り返して読んだ。そして、いくつの文節が印象として今も記憶に残っている。だが、この部分の記憶はない。しかるに今、この文章に特別興味を持ったのは歳のせいであろう。いわば、かつて読んだときには「死を遠く望み見て」の時代であった。今は、「圏を晝いて戦慄しながら歩いている」時代で、その圏も大分小さくなってきているのだろう。
このことは、その世代でなければ読み取れないものがある、という読書の興味ある一面である。このことは以前、漱石の「思い出すことなど」を読み返した時にも感じたことである。
先日、私のブログの蔵書の処分についての文に、「どのように考えれば蔵書を捨てることができるのですか。・・・私は捨てられません」というコメントを頂いた。この場でお答えするなら「蔵書は死ぬまで持っていた方が良い」ということになろうか。ただ私の場合は「HP故郷の昔の暮らしhttp://www.geocities.jp/kounit/」という終わりのない仕事があるため、読書の時間は諦めなければならないという事情があるだけのことである。
それにしても、鴎外の「妄想」を十数年ぶりに読み返して、気づいたことがもう一つある。それは、この短編が鴎外の翻訳作品の「冬の王」に通じるものを持っているということだ。おそらく、この作品を書くときの鴎外の念頭には「冬の王」があったに違いない。
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【2006/12/04 14:54】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
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コメント
時を経て読むと、また新たな感動や気づきを与えてくれる本は有難い存在ですね。
私も南の島へ渡るにあたり、蔵書を泣く泣く手放しました。苦しかったです。
手放した本であっても、本当に必要なフレーズには、どこかでフっとまた、会えるものなのかもしれませんね。
終わりのない仕事のためにも、どうぞご自愛くださいますように。楽しみにしています。
【2006/12/05 05:22】 URL | 水砂子 #EBUSheBA[ 編集]
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