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「死んだ」・「亡くなった」という言葉を好きな者もいないであろうが、「死ぬ」という言葉からは生物学的な死を感じ、「亡くなった」は「無に帰した」という感じがして、少し違和感がある。では、どう表現するかと言われれば、「行く」ないしは現在もよく用いられている「逝く」が気持ちの上では適切だと思われる。「母は死んだ」「母は亡くなった」より、「母は逝〔行〕った」の方が精神の世界では違和感がないように思うが・・・。
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【2006/11/24 13:47】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(3)
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コメント
こんにちは、雪月花です。今日はいちだんと冷える一日でしたけれども、お変わりございませんか。
こちらはSimoYokoteさんの思索の世界なのですね。哲学書に親しみつつ毎日を丁寧に暮らしていらっしゃるようすが記事からうかがえます。わたしは哲学は分かりませんけれども、禅の思想を学びたく、難しそうですが鈴木大拙の著書をいずれ読んでみようと思っています。「今を生きる」とか「無心」といいますと、禅につながる気がいたします。
週末も冬日になるようです。ご自愛くださいませ。これからもよろしくお願いいたします。
【2006/11/24 16:16】 URL | 雪月花 #-[ 編集]
「父が逝った。」という表現は英語にもあるのですが"My father passed away." 私の好きな表現は、"My father is dead." です。日本語では「父は死んでいる。」の「いる」でしょうから、日本語にもあるわけですが、純粋な日本語としてはなじまないかもしれません。

こじつけかもしれませんが、"My father is dead." が好きなわけは、人の復活に希望を抱いているからです。ある事情から、私にしきりに会いたがっていた父の死に目に会えませんでしたが、今は死んでいても(is dead)、いずれよみがえる(黄泉から帰る revive)父に会いたいと思っています。
【2006/11/26 02:21】 URL | Dr. Waterman #-[ 編集]
先日はコメントありがとうございました。
この24日に義父が逝き、今SimoYokoteさんのブログにお邪魔したらその日に死の表現について書かれていたので不思議な気がしました。
義父が逝くとき付き添っていたのがわたしの息子で、様子を聞こうとわたしから電話をかけたところ心肺停止を告げられて慌てているところでした。これが虫の知らせというんでしょうかね。不思議なものです。
【2006/11/26 19:46】 URL | みいこ #-[ 編集]
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幼稚と言われてもいい、とにもかくにも、自分の言葉で考えて表現してみよう。人間について、自然について、人生について、毎日一回、素朴な哲学者になって、考えてみよう!

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