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ブログ拝読しました。因縁について更に深く学んだような気がします。とくに、「因縁が正しければ、物事の正しい面に出合うことができる」という言葉に注目しました。この場合の正しい因縁とは、正しいものの捉え方、感じ方ということになるでしょうか。考えてみれば科学も強力なる因縁の世界であります。しかし、貴兄が説かれる因縁は、科学の因縁を包含したもっと大きな因縁の世界のことでありましょう。私の祖母は、朝起きると上る太陽に向かって両手を合わせて拝んでいました。科学少年であった自分は、祖母の無知をそこに見たものでありました。ですが、古希を迎えた現在は、そこに祖母の豊かに心を感じます。つまり、かけがえのない自己の命を自覚し感謝・お蔭様の気持ちが生まれてきたからでしょう。科学の世界には感謝などという因縁はないでしょうが人間の精神界では大きな因縁の一つではないでしょうか。 
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【2008/04/30 04:44】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
ブログ拝読しました。「私たちは広大な道理(大因縁)による知恵の力によって構築された社会の中で生活している」そのとおりだと自分なりに思います。そして、「時代の流れに応じて、好ましい大因縁の力が働き、人間の研究意欲が時代の流れを変えていく」ことを信じたいと思います。
しかし、現実には、貧困やイラク、アフガンでの宗教対立と大国の介入により多くの命が失われている現状を
を考えると、好ましからざる大因縁の力が働いているようにも想われます。でも、こうしたことが、これまでの人類の歴史上に多くあったことを考えるなら、そのような負の因縁力をより大きな正の因縁力が働いて、今日に至ったのだとも考えることが出来ます。それにしても、今日の環境問題、より多極化した南北問題〔格差問題〕、過度の競争社会、民族宗教対立等々、「好ましい大因縁の力が働き、人間の研究意欲が時代の流れを変えていく」ことがどうしても必要と想われます。それには、新しい哲学、新しい経済学、新しい仏教等が「あるがままに、妄想もなく、真実をみる」ことから興隆することが望まれるのではないでしょうか。現在では、我々一般人には、そうした希望に応える哲学も宗教も伝わってきません。「好ましい大因縁の力が働く」ためには、その時代の流れを変える突破口となるエネルギーがどうしても必要と思われます。それには貴兄がご指摘のように「正しい教育」が必要であることはいうまでもありません。そして、その教育の基となるものは新しい世界観、人間観、を構築する新しい哲学〔宗教〕ではないでしょうか。
悲観的に考えるなら、現代はすでに、「高度に発達した生物は滅びる」という神の手が人類にむけて伸びてきているようにも想われます。たとえ人類が滅びてもすでに一億年も前から生息している昆虫などが地球上でこれからも生きていくことでしょうから、まさに、貴兄の言葉通り「衆生界と法界にはともに、欠けることも満ちることも認められない」ことになります。
貴兄の示された文章の意味を正しくとらえることは出来なかったと思いますが、自分なりに考えさせていただき感謝します。七十にもなると思考能力も減退するばかりか、思考することをわずらわしく感じることもあります。今後もよろしくご指導ねがいます。
【2008/04/21 09:29】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
いつものことながら、興味深く拝読しております。
私は、ブログ上で貴兄の謦咳に接するようになってから、「因縁-理解、認識」ということを深く考えるようになりました。まさに、我々個々の人生の価値観も人類文化の価値観も人間固有因縁〔煩悩〕の上に成り立っているものであると思います。このことから貴兄の「例えば、ある問題について、十分に考えた結果であるとか、体験済みであるとか、あるいは時間や年数をかけて深く追究し思索した結果であるからということで、問題の全てが明らかになったと決め付けてはいけない」という言葉はとてもインパクトを持っています。わが師モンテーニュも『自説に固執しする」ことの愚かさを随想録の随所で説いております。若いときは、読書したり思索をしたりしていくなら何時か確たる真理を獲得できる、悟りの境地に達することが出来るものと考えいました。しかし、古希を迎えた今もまるで昔の変わらない、いや肉体の衰えた自分を感じます。そして、お陰で貴兄のいわれるところの『因縁』ということと人間の理解、認識というものの関わり、あるいはからくりのようなものが少しずつ見えてきたように思います。知恵の完成は空相ということであれば、この考えもまた一つの因縁による考え方とも言えましょうが・・・。私は、仏教的な理解はできませんが、日常生活の中で己を捉える喜怒哀楽の背景にある因縁、煩悩の正体を忘れず生きたいと思っております。残されたかけがえもない日々をくだらない因縁によって台無しにされることのないように努力していきたいと思います。ご指導ください。
【2008/04/13 13:08】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
自分の言葉で哲学しよう!


幼稚と言われてもいい、とにもかくにも、自分の言葉で考えて表現してみよう。人間について、自然について、人生について、毎日一回、素朴な哲学者になって、考えてみよう!

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