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孤独が耐え難く多勢の人との付き合いを望む者もあれば、多勢の人との付き合いが耐え難く孤独を求める人もある。
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【2007/01/31 11:37】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
何という冬であろうか。新潟の冬としては百数十年ぶりの暖冬だという。今日は、朝からブナ林に入った。4月のような南風が頬をなでる。残念ながら、ヒラタケにも、野鳥にも、獣にも出会わなかった。5時間余りカンジキを履いて歩いて何の収穫もなかったということにもなるが、山を下りてすごく満ち足りたものを感じている自分に気が付いた。ということは今日は、大いなる収穫があったという証拠であろう。形のあるものだけを評価するのは我々の陥りやすい誤りだ。写真は村はずれの嶺坂から撮ったヤドリギの沢山付いたブナの木。2007.01.30.jpg

【2007/01/30 21:07】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
2、3日前に、家の普請の準備のため、娘と息子が子どもの頃に使った学習机を粗大ゴミに出した。今日は、HP「石黒の昔の暮らし」の民具に「石油箱」をアップした。石油箱はもともと石油一斗缶の梱包用木箱であったが、空箱をどこの家でも大切に利用していた。とくに子ども達は学習机などない時代であったので、この箱を横にして真ん中に板一枚で支柱兼仕切りを自分で作って机代わりにした。箱の中には筆記用具などを入れることもできた。その上、抱えてどこにでも移動ができることも便利だった。ときには縁側に、囲炉裏端に、また庭にムシロを敷いてそこで使うことも出来た。気分転換もできて重宝な机であった。そして子どもが学校を卒業したあとは、また空箱にもどって様々なものの入れ物として長く使われたものだ。sekiyubako.jpg

【2007/01/29 15:42】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
太平洋をヨットで渡った初めての日本人である堀井健一氏は、航海中の最大の敵は、という質問に対して「想像力」と答えている。それは、想像力が人間の心身に与える影響の大きさ、深さを言い当てた言葉であるとともに、人生という航海においてもそのまま通用する言葉でもある。そして、堀江氏は、言及していないが、その想像力は味方にすればこれほど頼りになるものもないということであろう。
なぜ、このようなことを書くかというと、夕べ観たNHKのドラマ「スロースタート」の主人公の青年の引きこもりが、過敏な想像力による思いこみが原因であったからだ。まさに想像は妄想と紙一重だ。今日、日本全国には200万人の引きこもりがいると言われる。その原因はそれぞれ異なっても、何れも想像力が関連していることは確かであろう。
そして、近頃は「ひきこもり」という言葉が少なからず蔑称として使われことがあるが、これはいかがなものか。というのは、引きこもりになる人間は、どちらかというと「細やかな感性の持ち主」であることは確かであるからだ。鈍感な感性の持ち主は、引きこもりになる確率は極めて低いといえよう。とすると、彼らは視点を変えれば優れた天性を持った人間である。
彼らも、敵に回したら恐ろしい「想像力」を味方につけて太平洋を独りで渡った堀江氏のように、彼らの人生行路を生きていくなら卓越した精神力を発揮できる人々であると私は信じるからだ。
【2007/01/28 18:04】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
昨日の施政方針演説で阿部首相は教育再生を訴え、「教育の新時代」を強調した。昨年、子どものいじめによる自殺が相次ぎ、今、子どもに「命の尊さ」を教えることの必要が叫ばれている。
だが、我々は、その意味をほんとうに分かっているであろうか。命の大切を教えると言うことは、「命」、つまり、「生きること」を、もっと突き詰めて言うなら、「善く生きること」を教えること、何処で、というなら日常の暮らしの中で、具体的には、家庭と学校そして社会が一体となって、身を以て教え育てることに他ならない。口先だけでは絶対に教えることの出来ないことだ。また、教育制度を変えるくらいで実現できることでもない。
【2007/01/27 17:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
朝起きて庭に出てみると今日も晴天だ。山小屋脇の沢辺のネコヤナギが赤くふくらんで、その先からねずみ色の花がのぞいている。nekoyanagi.jpg

【2007/01/26 19:58】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
考えたことは言葉によって表現できるが、感得したこと〔悟り〕は言葉では、なかなか表現できないものかも知れない。
【2007/01/26 17:28】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
実証論理の世界は石で作られた堅固な世界のように思われるが、草花一つない索漠たる世界のようにも思われる。
【2007/01/25 16:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
今ほど、NHKの「奈良の町並そぞろ歩き」という番組を観た。その中で女優・作詞家の阿木燿子さんが、奈良の国宝法華堂で不空羅索観音にお参りした場面で連れのアナウンサーに次のような意味のことを話している。「よく困ったときに神頼みと言われますけど私は、観音様をイメージして、いつでも親しく話しかけることが好きなんです。親しみをもって何でも語りかけるのです。そうすると観音様も喜んで下さるような気がします。」
【2007/01/25 09:39】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
子どもの頃に見た村の老人たちの身のこなしや話し方には悠々たるものがあった。自分は、それが老熟して人間が初めて到達できる境地であると今まで信じていた。しかし、自分がその年になり足腰が衰えると、それは若いときから目指した境地というだけではなく、心身の衰えがむち打って追い込む境地でもあるということが分かってきた。
【2007/01/24 17:24】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
まっさきに、恐怖や不安が人の言行を乱すのではない、むしろ言行の動揺が先に恐怖や不安につけねらわれる隙を与えるのだ。しっかりした呼吸を常に保つだけでも恐怖や不安に対する砦となる。
【2007/01/23 19:30】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
自分の言葉で人生について、ただ考えるだけでは哲学することにはならない。そんなことを50年続けても、少しも役に立たないだろう。人の生き方についての物知り博士になって口先だけで金を稼ぐ格好の悪い人間にでもなるなら別だが・・・。すると、我がブログの題は「自分の言葉で考えて自分の生き方を整えよう」がよいかも知れない。
【2007/01/23 19:14】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
昼近くから日射しもあり暖かい。風も少しあるが南よりの風でまるで4月上旬のような陽気である。ここまでくるとまさに異常気象である。海流の影響もあると言われるが、地球温暖化の影響もあるかも知れない。温暖化現象は異常気象となって現れることが多いと言われる。我が故郷の村人も「寒中だというのに、馬鹿あったこぇが、夏になって大雨がふったり、秋に大風が吹かんけらいいがのう」と心配している。自然の四季の営みも、春夏秋冬それぞれの季節に相応しい気候こそ最善という長年の生活の知恵を村人達は受け継いできているのだ。
【2007/01/23 13:51】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
肉体的な故障が次々と症状として現れる老年期は、それにともなう憂鬱感や不安感に襲われることの多い世代である。とくに、精神的な不安は、適応力に個人差があり相対的なもので一様に論ずることはできない。ある人にとって少しも気にかからないことが、別の人には夜も眠れないほどの不安材料となる。畢竟、我々は生まれもった自分を克服して生きていくしかないのだ。

【2007/01/22 19:36】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
昨日に続く快晴。近くの山に野鳥の撮影に出かける。雪は40㎝ほどで杉の木の下の山道は地面が現れている。途中で村人に会う。「いやぁ、おらぁ88年生きたが、大寒にこんげぇにあったこえ〔暖かい〕ことは初めてだのうぉ」とのこと。野鳥の写真は撮れなかったが、ハンショウヅルの種子の写真を撮った。20070121.jpg

【2007/01/21 16:37】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
自分が時々読んでいるある方のブログの文章に「いまあなたがいる場所で、耳を澄ますと、何が聴こえますか。沈黙はどんな音がしますか」という詩的な一節があった。
とても気に入った。それで、すぐに次のような感想を投稿した。
「私も仕事をしていて、時々耳を澄ますことを心がけています。渓谷の上で畑仕事をしながら時々耳を澄まします。すると谷底から滝の音に混じって微かにカジカの鳴き声が聞こえてきます。風の向きで聞こえたり聞こえなかったりするほどの微かな声です。そんな時「ああ、俺は生きている」と感じます。
【2007/01/20 19:56】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
大寒の今日は朝から晴天で明日も晴れるという。異常なほど穏やかな新潟の冬だ。今日も幼稚でもよいから自分の言葉で哲学しよう。
今、自分には、科学論理に裏付けられた知識が、この上なく確かなもののように思われる。確かに科学は普遍的に確認できる事実に基づいた思考によって構成された理論である。また、その成果は人間の寿命を延ばし生活の利便性を著しく向上させた。この世でこれほど頼りになるものはないはずである。しかるに、その中に暮らす自分は、人間が人間として生きるための大きな何かが足りない気がしてならない。というより、人間が生まれながらもっている精神的な活動を科学論理が封じ込めてしまっていると言おうか。それも満遍なく閉じこめてしまって、見方によっては人間精神が一種の閉塞状態に陥っているようにさえ思われる。そして、その中で、自分も本来の精神の在り方を見失ってしまっているように思われる。まさに、人間精神とはもっと自由で無限の可能性をもったものではなかったか。
【2007/01/20 17:44】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
物事の真相というものは、それに関するデーターを多く得ることによってより正確に把握できると考えるのが常識であるが、現実では、データーが多いほどよい、ということにはならない。時には様々なデーターに振り回されて真相の把握がなかなか出来ないということもあり得るからだ。これは、インターネット等によるの情報化時代に生きる我々が大いに留意すべきことである。データーの量に頼る前にデータの質の吟味にこそ心がけなければならない。
【2007/01/19 17:46】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
今日のある新聞が、EU連合がブルガリアとルーマニアの加盟により加盟国数が27になったことを報じている。1960代後半にEC〔欧州共同体〕が発足した頃は、誰が今日のEU連合を想像できたであろうか。新聞記事によると、EUはすでに2004年に、EU憲法を制定し国旗と国歌まで制定したと伝えている。国旗は青地に加盟国の数の星をあしらい、国歌はベートベーェンの「喜びの歌」だという。
自分のような人間が考えても、この欧州連合は人類の未来にも関わる実に壮大なる歴史的な試みだと思う。古代ローマ時代から武力による血の代償を払って何度か挑戦されきた国家統一という人類の夢が平和的手段によって着々と進められているのだ。
まさに、加盟主要国であるドイツとフランスの過去の長い歴史的な対立関係を想ってみても、その意味の大きさが理解できる。〔小学校時代、国語教科書にあった「最後の授業」描かれたアルザスの悲劇を思い出す人もいよう〕そして今日、人種、宗教などの共通性のある国に留まることなく、アジアのイスラム教国家トルコとの加盟交渉を開始したという。いうまでもなくこれだけ広大な統合事業であれば、課題も多くあろうが、南北問題など国家間の対立が深まる今日の世界情勢の中で実に注目すべきことであると思う。
【2007/01/18 17:59】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
自分は今、山小屋の窓から冬山の木々を眺めている。私の目はカメラのレンズのように山の木々の形、色をだけをとらえているわけではない。木々の形や色はもちろんとらえてはいるが、それらを超えた一つの存在者としての木々、子どもの頃から見慣れ親しんだ「汝」として相対している。私がそれらの木々を70年にわたって見てきたように木々も70年にわたって私を見てきたと存在者として向かい合っている。20070117.jpg

【2007/01/17 17:03】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
「サレバ、人間ノハカナキ事ハ、老少不定ノサカイナレバ、ダレノ人モ、ハヤク後生ノ一大事ヲ心ニカケテ・・・・・・・」と毎朝、自分は御文を読んでいるが、真摯に学ぼうという気などなかったことに今ふと気がついた。まさに、「老少不定ノサカイナレバ」どころではない、自分はもう老境にあるのだ。
【2007/01/16 20:41】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
大寒を間近に迎えた今日、我が故郷は、思いもかけない穏やかな晴天となった。積雪70㎝。昨年の今頃は2m余の積雪で村人は雪堀に明け暮れていたのだが・・・。天気予報では当分冬型は強まりそうもないが、油断はできない。明治12年生まれの私の祖母がよく話していたものだが、ある年のこと2月15日に雪が全然なく、日よけの山笠をかぶって庭の草取りをしたほどであったが、2月下旬から降り出した雪はすさまじく3月には、ついに大雪となったこともあるという。
【2007/01/16 16:59】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
暖冬とはいえ、我が故郷は積雪もあり明け方はかなり冷えこむ。今朝、寒さで目覚めるとまるで胎児のような格好で布団にくるまって寝ている自分に気がついた。忍び寄る寒さから逃れる格好が胎児の姿に似ることは、かつて母親の胎内にあったころの根源的な世界へ引き戻されるためであるかも知れない、などと考えた。
それにしても、深い信仰生活に達した人は、大いなる汝〔神〕の体内〔この世〕で胎児のように大いなる汝と宇宙的な結合を作り出して生きることができるものであろうか。
【2007/01/15 17:14】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
子どもの頃、暗く寂しい夜道を怖がって走るといよいよ怖くなった経験は誰にもあるであろう。人間の動作と思考は密接に連結している。すこしでも沈着冷静な判断力を保ちたいと思ったら、まず日常の動作・挙動から改めることが大切だ。
【2007/01/14 17:53】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
キノコ好きな我が友は、毒キノコを生で噛んで味を確かめるばかりではなく、キノコによっては少し食べてその反応を調べるようなこともする。彼に言わせると、毒キノコ中毒を防ぐためには何より毒キノコをよく知ることが大切であるというのだ。キノコによる中毒は類似の食用キノコがあることが多いことを考えれば、只恐れ嫌うのではなく、その実態を目と舌と鼻などを駆使して、しっかりと把握することは確かに必要なことだ。
〔写真ニガクリタケ〕
20070113.jpg

【2007/01/13 19:33】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
人生の評価は、その人が生きた年月と一日の充実度を乗数とした積で求めることができるということもできよう。では、充実度の基となる充実感とは何かというなら、その人の価値観によって様々であろう。したがって我々は他人の人生についてあれこれ言える立場にはないということだ。仏道の価値観をもっていうなら「たとえ人が百年生きても、仏としての自己を悟らないならば、わずか一日を生きてそれを成し遂げた者に及ばない」〔正法眼蔵・行持〕ということになる。
【2007/01/12 15:22】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
昨年の今頃は、すでに2m余の積雪であったが今年は30㎝ほど。我が故郷の年老いた村人たちにとって有り難いことである。
隣村に住む知人から葉書が届く。親友の死について「・・・生有る物は、必ず死を迎えることは知っているつもりなのに、このような悲報を聞くと淋しく悲しくてなりません。今日は幸い嵐も過ぎて○○さんも静かに永久の旅に立たれたことと今、西の空を眺めています。」と書かれている。
【2007/01/11 16:50】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
言うまでもないことだが、急死というものは家族はもとより親友にも強い衝撃を与えるものだ。前日まで元気に話し合っていた人間が忽然とこの世から姿を消すことは信じがたい事に思われる。まさに、「朝ニハ紅顔アリテ、夕ベニハ白骨トナレル身ナリ、スデニ無情ノ風キタリヌレバ、スナワチ、フタツノマナコタチマタニトジ・・・・・野外ニオクリテ、夜半のケフリトナシハテヌレバ、白骨ノミゾノコレリ・・・」そのものである。
これが人間の死というものの正体であり、人間の生というものの正体でもある。
【2007/01/10 16:34】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
親友の葬儀
【2007/01/09 19:26】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
昨日からの嵐も大分おさまった。午後6時より親友の通夜。
【2007/01/08 15:07】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
自分の言葉で哲学しよう!


幼稚と言われてもいい、とにもかくにも、自分の言葉で考えて表現してみよう。人間について、自然について、人生について、毎日一回、素朴な哲学者になって、考えてみよう!

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