我々は、誰でも業、煩悩の因縁にとらわれて物事を見たり考えたりしているがそれは生きていく上で仕方がないことでもあろう。
  とはいえ、できるだけ、暗雲のような因縁ではなく薄日が差し込む程度の薄雲のような因縁に治めて生きていきたいものだ。
【2008/08/17 06:26】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
 厳しく量を制限された食物を食べるときに、我々は、はじめてその食材をとことん味わって食べることが出来る。

 忍び寄る世界的な食糧難、それにともなってさらに深刻化する南北問題の最中にあって飽食によるメタボリックシンドロームに悩む我々にはとうてい分からないことだろうが・・・
【2008/08/17 04:02】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
文学作品等に対する解説書が、その作品に対する我々の感動をより深めるとは限らない。むしろ、その逆が多いのではなかろうか。広い意味での人生に対する解説書、さしずめ自然科学、哲学、宗教学がそれにあたるであろうが、我々は解説書の方にばかり目を向け人生の本文をないがしろにしてはいないであろうか。 
...続きを読む
【2008/08/15 08:09】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
我が友のブログによれば、「私たち凡人は、因縁に支配され、煩悩に支配された頭(心)の中から知恵を絞り出している」という。まさにその通りであろう。我々は猿知恵などと嗤うが、猿は本能に支配された頭から知恵を出している。それに比べて我々ヒトは、本能の他に我々が「文化」と呼ぶ因縁に支配された頭から知恵を出している。文化という因縁が猿知恵より、ましな知恵を出せるというわけでもない。
 だが、この因縁と煩悩の暗闇に覆われた人生街道を稲妻のように「世尊の虚空の如く清浄な知恵」が瞬時照らしだし我々に「道」を啓示する時がある。我々はそれを頼りに、よたよたと歩み続けていくほかないようないような気がする
【2008/08/03 04:45】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
20080710 我が畏友によれば、「我々の日常生活は、常に、因縁にもとづく煩悩に覆い隠されているため、物事の真実がみえない」という。確かに、その通りであろう。だが、人間が今日の文明、文化を創り上げたものも煩悩あってのことだともいえる。このことから、人間の煩悩はあながち馬鹿にしたものではなかろう。そこから、我々凡人は希望と活力を得て生きているのだから。
私は、末期の、いわゆる仏顔に何度か立ち会ったが、その一切の煩悩から解放された人間の表情にいつも圧倒されると共に、もはや、これは人間ではない、(神であると)と思ったものだ。このような人間を完全に超えてしまった人(神)には、今日のような活力に満ちた世界を作り出すパワーはない。
とはいえ、我々がこのままの生き方でよいと言うわけでは決してない。我々は、我が畏友のように常に知恵の完成をめざして精進することが大切だ。そして、煩悩という漆黒の闇を知恵の稲妻が一瞬打ち払うとき、真実の世界を確と認識しながら生きていかなければならないと思う。

【2008/07/10 18:38】 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(1)
自分の言葉で哲学しよう!


幼稚と言われてもいい、とにもかくにも、自分の言葉で考えて表現してみよう。人間について、自然について、人生について、毎日一回、素朴な哲学者になって、考えてみよう!

プロフィール

Author:SimoYokote
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ