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上の奥歯が冷たい水に反応するので歯医者で治療を受けたところ中はすでに大きな空洞になっていた。医師の話によると老齢になると歯の神経がだんだん衰えて後退してしまい、若者であれば痛みが我慢できないほどに虫歯が進行しても何の症状もでないこともあるということだ。

 考えてみれば、これは世代交代を促すための生物体の基本的なシステムの一つであり驚くに値しないことである。

 まさに、人間を含めて生物にとってもっとも普遍的なことは世代交代を繰り返して種として生き続けることである。
 こんな当たり前のことも、世代交代の前線にいる我々老人には、知識としてはすんなり受け入れられるが心情的にはなかなかそうはいかない
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【2009/12/21 19:15】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1)
日本の科学者4人のノーベル賞受賞で宇宙物理学が話題になっている。物理学賞の受賞理由は「対称性の破れ」と呼ぶ宇宙の誕生解明につながる重要な概念だという。
 現在は、宇宙はビッグバンによって誕生したという理論が最も有力だそうだが、自分のような素人には概略さえ理解できそうもない。
 たとえ、それが理解できたとしても、ではビッグバンが起こる前の宇宙の状態は?、という疑問がわく。ある科学者はそれを「無の状態」と呼んでいるようだが、いよいよ分からない。むしろ仏教的な「無」のほうが理解できそうな気さえする。 
 更に、その無の状態に、なぜビッグバンが生じたのかも知りたくなる。私の読解では、「無の状態」に生じたほんのわずかな「ゆらぎ」がビッグバンの原因だということだ。それを「神の一撃」とも呼ぶという。
 そして、「ゆらぎ」の中で生じる現象が「対称性の破れ」ということらしい。〔正確なことは分からないが・・・〕
 それにしても、「神の一撃」というと、どこか宇宙科学と哲学や宗教の接点を示唆するような言葉に聞こえるが「対称性の破れ」と言うと探求をあくまで宇宙科学で貫徹する言葉に聞こえる。
 いずれにしても、宇宙の謎をすべて解き明かすなど、理論上ではともかくも、観測上は到底不可能なことなのであろう。

 一昨日、石黒の山小屋に泊まり、久しぶりに満天の星空を眺めた。
 星空を眺めながら、宇宙誕生の理論を知ることよりも、この大宇宙の地球上に今日、自分がこうして生きていることの奇跡を十分にに自覚することの方が、今の自分には大切な事だと思った
 これからは空気が澄んで、いよいよ星空が美しい季節である。
【2008/10/11 05:11】 | 未分類 | トラックバック(1) | コメント(1)
<先刻、本HPへの寄稿文の内容確認のため、居谷の田辺雄司さんに電話をすると、「今日は寒いので朝からコタツでテレビを見ています」との挨拶だった。こちらもセーター着用でパソコンに向かっていますと挨拶をした。

「暑さ寒さも彼岸まで」とは子どもの頃からよく聞かされた言葉であるが、こうまで説得力をもってこの言葉が脳裏に甦る年もめずらしいだろう。二十日前後は真夏を想わせる暑さで我が家では扇風機が回っていた。それが、ほんの2、3日の間に、コタツの出番と相成るとは嘘のような話である。「陽気というもんは、ほんに、おっかねぇようなもんだのう」という言葉も子どもの頃から耳にしたものだが、まさにそのとおりであろう。

 さて、田辺さんの寄稿文の話にもどるが、「新田づくりと畔しめ・畔塗り」を読むと、昔の田堀りの苦労がいかばかりのものであったかが分かる。

 1年目に、田堀鍬で土をかいてモッコを使って土を運び田場所をつくり、畔形に土をに盛っておき冬の雪によって押し固める。そして、翌年は畔形に盛った土を40㎏もあるアゼシメで叩いてしめて畔をつくる。それから、新田の底面を鍬で耕し水を流し込んで、土を詰めた土俵を7、8人で引いて田の土を泥状にする。更に鍬で耕して、また、土俵を引きまわす。この作業を一日中続ける。せいぜい3~5アールの田であったが一枚の田堀りを終えるまでには7、8人で2年に渡り40日もかかったものだという。人手を頼らずに掘るとなると完成までには数年を要したものであろう。

 この寄稿文で田堀りの苦労を知ってからは、今まで見過ごしていた放棄田が目にとまるようになった。とくにススキの穂が出る今頃は遠目にもくっきりと田の跡が現れる。









荒らし田〔放棄田〕



 今は荒れ果てたこれだけの田を掘るに我々の祖先はどれだけの労力をかけたであろうか。ただ、ひたすらに、子々孫々の食の確保を願っての労働であったであろう。

 しかし、敗戦後の復興から高度成長期への時代の流れは農村の若い労働力を奪い去り、過疎化を進めた。

 村に残った少数の人々は条件のよい田を集めてほ場整備と機械化を進め頑張って耕作してきた。ちなみに現在の板畑集落4軒の米の生産量は高柳町全体の2割に達すると聞く。しかし、それも農業従事者の高齢化により限界に達している。石黒における農業従事者の平均年齢は67歳を超えている事実をふまえて考えるなら、早晩、石黒の農業は大きな壁に阻まれることになる。

 先日、上石黒のオオヌゲ地内を久しぶりに訪れてその変わり様に息を飲む思いであった。二年前の秋、今は亡き耕作者のSさんと畔で眺めた黄金色の美しい稲田は、繁茂した雑草で畔の見分けもつかないほどに姿を変えている。このままだと、あと2、3年でススキが繁茂し茫々たる原野に変わるであろう。

 もちろん、石黒の棚田のすべてがこの様な運命をたどるとは思わないが、定まった後継者のいない農家が多い現状では暗い光景が脳裏をよぎるのも仕方ない。

 しかし、一方、世界的な食料不足が現実のものとなり、食料を海外に依存する今までの国の政策は否応なく見直さねばならない時代に入っているようにも思われる。この現実が将来、農業政策の転換につながり、ひいては、石黒の休耕田や放棄田が生命を取り戻す時代が到来すると考えるのは楽観的な望みに過ぎないだろうか。/span>
【2008/09/28 19:39】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
我々は、民族紛争、飢餓、テロ等で毎日のように大勢の人々が命を失っているこの現実をどう受け止めたらよいのであろうか。
それを個人の手には負えない国家、民族、政治、経済の問題として諦める前に、「もし変えようと思うなら、本当に変えようと思うなら、世界は変えられる」というジョンレノンの言葉の意味を、一人ひとりが真剣に考えるべき時代が到来したのではなかろうか。
【2008/09/26 20:29】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
ここに、自分が20代のころから眺めてきた一冊の本がある。

 「ギリシア・ラテン引用語辞典」。

 ここには、人生について人間が考えられるであろう大方の知恵が端的に記されている。
【2008/09/17 21:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
自分の言葉で哲学しよう!


幼稚と言われてもいい、とにもかくにも、自分の言葉で考えて表現してみよう。人間について、自然について、人生について、毎日一回、素朴な哲学者になって、考えてみよう!

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